『都会の夢』コメント集('10.03.22現在)

(五十音順・敬称略)

いつかどこかで見たものではない。オリジナルで気持ち悪くて、悪夢のような作品。


いまおかしんじ(映画監督/『たまもの』『かえるのうた』)

映画の肌ざわりという見かたからすれば、ガードが固いな、という感じがした。
この映画のいわんとする目的に向って、都会にひそむ有象無象の、
たとえば「闇・病み・止み」などが、用心しながら静謐なリズムですすむ。
つい「はずし」が欲しくなる(音楽は♪うーみはあらぁうみぃ・・・になりそうでなかなかならないが)といえばまとはずれか。
出演者たちがいいあじをかもし出している。
たくさんの設定が今の都会の様相をよくあらわしているのだろう。
物語の的確な点景描写にも作者の品位を感じる。
願わくば、映画でしか味わえないエクスタシーをもっと。


高嶺 剛(映画監督/『ウンタマギルー』『夢幻琉球・つるヘンリー』)

ヘルダーリン以来、いったい何人の詩人が、芸術家が、真の故郷への不可能な「帰郷」を繰り返してきただろう。
『都会の夢』は、そのタイトルからして、この普遍的なテーマ――近代人の「故郷喪失」へ――と臆せずに連なろうとする。
少女にも母にも見える「クシマルミ」は、ネカフェ難民やブルジョアの家族崩壊者たちの求める純粋性だ。
そして、彼らが見たい「都会の夢」をスクリーンのように映し出す。
身分保証ももたず、幽霊のような白肌の彼女は、本当はただ都会を漂う幻影だったのかもしれない。
ならば、それは、まるで映画そのものではないか。
だが、最後に、映画の夢はきっぱりと破り捨てられる。
長編デビュー作というこの若き監督の、この上なく困難な出発。


中島一夫(文芸批評家)

インターネットと携帯電話をもはや「懐かしいもの」として画面に溶かし込むことにおいて秀逸なこの作品は、

都会とはいったいどこにあるのだろうか、という抒情の問いを投げかける。

そしてこの作品で私たちがたどりつく思い、それは、都会は、音と写真のあいだに、性交が禁じられた場所と、

そこでの肉体の触れ合いとのあいだに、信じて口にした言葉と、信じてもいないのに流れ出す言葉とのあいだに存在するということ。

すなわち、つねに生起しつつある夢であるということである。


安川奈緒(詩人)

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